江戸時代、日本人はフリーターだった
パオロ・マッツァリーノ氏。「千葉県民」で
「ジャズと立ち食いそばが好き」で、
好きな映画が「ダイハード」。
二番目に好きな映画は「ダイハード2」
父:マックの清掃員 母:ナポリ花売り娘
... ダヒッ
学歴 職歴 何も無い。
”肩書よりも 中身さ” というスタンスが 大好き。
大好きついでに 彼の基本姿勢がわかるQ&A↓ 詳細
Q.
あなたは頭の中の知識だけで、ものを書いてる。
文章というのは、人の心に訴えかけて、
感動させなきゃいけないんだ。(カウンセラー・58歳)
A.
知識の詰め込みばかりで、心の教育がなってない、
と日本の学校教育を批判する意見をよく耳にします。
なんとも間抜けで危険な意見です。
心や感情は常に正しいとはかぎりません。
その証拠に、戦争をしている人たちは、
どちらの側も「自分は絶対正しい」という心を持っています。
心は人を殺せるのです。
心と知識が暴走するのを防ぐのが、思考力です。
思考力の訓練がすっぽり抜け落ちていることこそが、
日本の学校教育の最悪の欠陥なのです。
★ ★ ★ ★
本の中身は と言うと、面白くて 面白くて...
頭の中で思い返していたら、映画 『ショコラ』のイメージとダブった。
パオロ・マッツァリーノ氏が 村にやって来ると
ショコラ村のような変化が 確実に起こりそう。
ミドルネームに”カカオ(ショコラ)”を入れ チャオ☆
パオロ・カカオ・マッツァリーノ氏が
あっちにもこっちにも出現したら、ワクワクしちゃうナァ~。
ネットでも本でも 彼の話を楽しめるので どうぞ読んでみてください。
☆ ☆ ☆
『反社会学の不埒な研究報告』 以下抜粋
以前から私は「人間いいかげん史観」を提唱しています。
昔の人を 偉人か罪人の
どちらかに決めつけるような見方を押しつけようとするから、
歴史の見方が歪むのです。
こどもたちは 歴史をつまらない暗記科目として
嫌うのです。
為政者や英雄の偉大さばかり教えるのは、
”お前ら庶民の子孫など取るに足らない存在なのだから
偉い人に黙って従え”という、いけすかない教育法です。
昔も今も人間はずっと変わらずいいかげんでダメな存在だ
何百年も前からフリーターも居候も破産者もいたけど
みんなそれなりに頑張って生きてきたのだ
百姓や、長屋に住んでた連中こそが、日本の歴史を支えてきたのだ
と教えれば、こどもたちは昔の人や歴史に親しみを持ち、
庶民であることを誇りにおもうようになるのです。
◎武士と書いてホモと読む
歴史劇や大河ドラマを放送すると、
歴史オタクは待ってましたとばかりに 「史実と異なるぞ」と
重箱の隅を突くような苦情をテレビ局に寄せると聞きます。
武士について調べていくと、避けては通れないのが
衆道(しゅどう)=武士と美少年とのホモ関係です。
それなのに、
時代劇で武士のホモっぷりが描かれることはほとんどありません。
にもかかわらず、なぜ歴史オタクはそれを指摘しないのでしょうか。
氏家幹人さんの『武士道とエロス』によれば、
忠臣蔵事件を 題材にした初期の芝居では、
吉良と浅野の反目も、
美少年 小姓(こしょう)の取り合いを原因としているのだそうです。
薩摩では
琵琶を伴奏に衆道物語が語られ、
主人公の美少年が登場すると、
感極まった観客が声を合わせて「チェストー!」
と叫んだとのこと。
明治31年の本富安四郎『薩摩見聞録』でも、
「薩摩の社会は公然これを父兄の前に談話して人あやしまず」
と書かれています。なんかすごい話です。
つまり当時の薩摩では、一家団欒の夕食の席で、
「父ちゃん、オレ、新しい彼氏ができたんだ」
みたいな話を息子が普通にしていたと考えられます。
★
パオロ・マッツァリーノ氏のサイトでも一部読める箇所。
ここでは 書籍版 『反社会学講座』から以下抜粋
事実はひとつ、解釈は無数
江戸時代の町人たちは、
経済発展などとは無縁でも、
適当に楽しく暮らしていたのです。
町人どころか武士でさえもろくに働いてはいません。
鈴木淳さんによると、
幕末の武士の勤務時間は10時から2時までで、
しかも間に 昼休みが1時間。
驚くことに、明治維新後も中央官庁の役人は、
同じ勤務シフトを明治19年まで続けていたのだそうです。
日本人がもともと勤勉な民族だったというのがウソッパチであると、
納得していただけたと思います。
古くは、平城京建設に駆り出されたものの
仕事がつらくて逃げ出した人たちがいました。
それがあまりに多かったので、
取り締まる専門の役所が必要になったくらいです。
当時の大人たちも、
「近頃の若いやつらは、仕事がつらいからって、すぐにやめやがる」
となげいていたのです。
今回私は、資料を見つけるのにけっこう苦労しました。
違法とまではいかないけれど、
不真面目でいいかげんなフリーターのような町人が
少なくなかったにもかかわらず、
そのことに触れている資料はごくわずかしかないのです。
その理由は明らかです。
江戸時代に関する資料や本を執筆した人たちが、
日本人勤勉神話に洗脳された現代人だからです。
しかもそのほとんどは中高年なのです。
彼らはこどもの頃から日本人勤勉神話を教えこまれ、
それを美徳として育ってきました。
ですから、
自分の常識からはみだしたものは、
見たくもないし、調べもしないし、書きもしません。
職人や商人が一人前になるまでどれだけ苦労したか、
なんて話は現代の労働美意識と合致するので喜んで書きますが、
その日暮らしを謳歌していたという事実は、
労働美意識に反するので無視します。
歴史的事実はたったひとつですが、
歴史の解釈は、
のちの世の道徳・倫理観によって異なるという見本です。
★ちょっとブレイク★
株式日記と経済展望
『日本の歴史教科書は
キリシタンが日本の娘を50万人も海外に
奴隷として売った事は教えないのはなぜか?』 以下抜粋
歴史教科書などでは
キリスト教弾圧を単なる異教徒排斥としか教えていませんが、
信長にしても秀吉にしてもキリシタンに対しては最初は好意的だった。
しかし秀吉に 宣教師たちの植民地への野心を見抜かれて、
だんだん危険視するようになり制限を設けたが、
神社仏閣の破壊や日本人を奴隷として売りさばく事が
秀吉の怒りに触れて弾圧するようになったのだ。
現代にたとえれば
竹中平蔵などがキリシタン大名として
宣教師たちの手先となって働いているのと同じであり、
日本の銀行や保険会社などを
外資系ファンドなどに売りさばいてしまった。
戦国時代に日本の娘を奴隷として売りさばいたのと同じ行為であり、
竹中平蔵は高山右近であり、
アルメイダのような改宗ユダヤ人が日本乗っ取りを狙っている。
なぜこのような事実が歴史として教えられないかと言うと、
やはり
GHQなどによる歴史の改ざんが行なわれて、
キリスト教や白人などへのイメージが悪くなるからだろう。
もちろんキリシタン大名などの協力があったから
日本女性を奴隷として売りさばいたのだろうが、
彼らは日本人の顔をしたキリシタンだった。
からゆきさんの小部屋
明治~大正、30万人もの日本の若い女性が海外に売られていった。
『「からゆきさん」の存在を
現在の日本の歴史教育から抹消しようとしているのは、
あまりにも非人道的な過去の日本の歴史だからだ。
それが分からなければ
戦国時代も明治大正と言う時代も正しくは理解できなくなるだろう。』
★ ★ ★ ★ ★
○「働かざる者、食うべからず」は、
明治以降に、西洋文化とキリスト教にかぶれた人たちが
言い出したのです。
○怠惰を罪にしたのは
キリスト教と西欧の金持ちです。
○日本人は高度成長期に魂を売った
現在、日本中で鉄筋コンクリート建築が崩壊の兆しを見せています。
小林一輔さんの『コンクリートが危ない』によれば、
そういった手抜き工事のほとんどが、
東京オリンピック(昭和39年)以降の
高度成長期に作られたものだとのことです。
材料をケチり、工期を短縮し、
ただひたすら純利益をあげることにのみ邁進する。
これが高度成長期の「勤勉」の正体だったのです。
どんなインチキ仕事でも、やっつけ仕事でも、
数さえこなして金が儲かりゃいいんだ。
会社は慈善事業じゃねえんだよ――
高度成長期とは、
職人気質がカネの力に負けた悲しい時代でもあったのです。
江戸時代、日本人はフリーターだった
杉浦日向子さんの『一日江戸人』によれば、
江戸時代、生粋の江戸っ子の中には
定職に就かない人間がずいぶんいたということです。
結婚して子供がいる男でさえ、
食う物がなくなるとひょこっと町に出ていって
薪割りなどをやって日銭を稼いでいました。
まさに食うために必要なだけ働くという生き方ですね。
当時、世界的にも非常に人口の多かった江戸という都市では、
仕事を細分化することでワークシェアリングが実現されていたのです。
そしてアルバイトが職業、生き方のひとつとして認められていました。
現代のオランダが導入して成功し、
オランダモデルと呼ばれるようになった雇用対策が、
江戸の町で すでに行われていたのです。
日本は雇用形態の先進国だったのです。
日本人はこの歴史的事実を世界に誇るべきです (世界に誇る江戸)
大工や商人のような、
長年の修行が必要な職業についても触れておきましょう。
江戸時代の職業観、労働観は、
現代とはかなり異なっていました。
大工にしても、毎日真面目に働くということはあまりなかったらしく、
みんな自分の懐具合に応じて
仕事に行ったり休んだり、適当にやっていたのです。
大工は雨の日は仕事にならないというのは いまも同じですが、
江戸の大工はもっとわがままです。
夏場は暑いといっちゃ休み、
冬場も今日は寒いからやめたとか
悪くいえば怠け者ですが、
良くいえば人間らしい生き方であります。
こういう偉大な先祖を持つ日本人は、やはり素晴らしい民族です。
日本人は自らの歴史と祖先をもっと誇るべきです。
★ ★ ★
「人間いいかげん史観」によって歴史を見ないから、
多くの歴史家や有識者が歴史認識を誤り、
互いの解釈をめぐってギクシャクするのです。
「新しい歴史教科書」問題もそうです。擁護派、反対派、
両者ともに頭が偏見で凝り固まっています。
彼らは、
昔の日本人を偉人か犯罪者の いずれかに決めつけようとして
争っているのですが、なんともバカげた論争です。
どちらでもありません。
昔も今も人間は等しくいいかげんなのです。
日本人はもともと勤勉な民族なんかではなかったのです。
そして現在もそうですし、未来永劫変わらないと思います。
明治以降に捏造された日本人像にとらわれ、
余計なプレッシャーにさらされ続けることで、
日本人の生き方はゆがんでしまったのです。
昔はよかった。たしかにそうです。
西洋文明のサルまねを始める以前の日本人の生き方は、
本当に素晴らしかったのです。
○明治時代に、
日本人は勤勉と奴隷労働の区別がつかなくなりました。
★ ★ ★ ★ ★
「粗大ゴミ」を癒す「可愛い」女性たち(日本社会)
終電まで働いても、誰も異常だと思わないし、思っても言わない。
だが、そうした状態が異常であることを認識し、
声を大きくして自分の生活を守る
勤勉だと自慢することは良いことだ。
だが、勤勉の裏返しが、個人の生活の犠牲であるのならば、
自慢どころか恥じるべきことである。
『カーネギー名言集』 創元社では3冊まとめて文庫 以下抜粋
★ Ferenc Molnár
試験に落ちて、浮上出来なくなり、
手元にあるアルコールに走った。
予想外の父親の訪問に遭い、
すべてを見破られてしまった。
懺悔..
すると 私の愛すべき父は ”処方箋”をその場で書いてくれた。
『そんなもんじゃ、現実からは逃避出来ないぞ。
ただし...どうしようもないほどの悲しみに効く薬
世界中のどんな薬よりも信用のおける薬が、一つある
--《Work》--だ。』
父の言うとおりだった!
Workに慣れるまではハードかもしれないが、
遅かれ早かれ上手く行く。
”麻薬”の特徴で、習慣性になるんだ。
いったん習慣になってしまえば、
なかなかそこからは抜け出せなくなる。
おかげで50年もこの習慣から抜け出せない。
I have never been able to break myself of the habit for fifty years!
Dale Carnegie's Scrapbook 『カーネギー名言集』
Work:ギリシャの貴族階級が使った言葉で、”自分の好きな労働”
Labor:”自分の意に反する労働”
★ ★ ★
パオロ・マッツァリーノ氏は
『ねっ、ちょっとコッチから、中を見てごらん』
と、手招きして 違う角度から現実を見せてくれる。
ホッとする。Every cloud has a silver lining.
☆彼のマスクの下の顔を もう少し記しておこう☆
パオロ・マッツァリーノ氏
一般人にわかりやすく本を書くためには、
専門的な部分を多少はしょる必要もでてきます。
ところがそうすると、
クソ真面目教信者である専門家や学者たちが
待ってましたとばかりに噛みついてきて、
重箱の隅突き大会が始まります。
社会学および社会学者は、
民衆から一目置かれる存在であらねばならない。
わかる者だけにわかればいいと、門を閉ざそうとするのです。
これを私は、「社会学的ひきこもり」と名付けました。
ブッダとヴォルテール氏の言葉が 参考になる。以下抜粋
ブッダ
『私を信じるのも、私の教えを信じるのもよくない。
みんな私の話を聞いたら、自分自身で確かめなさい。
自分の経験に照らして、それが本当だったら受け入れなさい。
私があなた方より少しばかり多くの経験を積んだからという理由で、
私を信じてはいけない。
ただそれだけの理由で、私の話すことを信じてはいけない。』
I disapprove of what you say,
but I will defend to the death your right to say it.
Monsieur l'abbe,
I detest what you write, but
I would give my life to make it possible for you to continue to write.
-- Voltaire
François Marie Arouet (1694-1778) French philosopher , writer and deist
マッッアリーノ氏
私は今の若者にも絶望していません。
だからこそ、この三十代後半のおっちゃんは、
若者の肩を持つ発言をするのです。
昔の人だってダメだったんだから、
今の若者も自信をなくすことはない、
と繰り返し伝えるのです。
しかも、面白く。
誰が面白くもない説教に耳を貸しますか。
☆
私は社会をおもしろくしたいと願っているのです。
むしろ、社会を良くしようなどと主張する
学者や評論家を軽蔑しています。
なぜなら、万人にとって良い社会なんてものは存在しませんから。
学者や評論家が「社会を良くしよう」といった場合、
それはすでに勝ち組になっている彼らにとって
都合のいい社会でしかありません
学問をつまらなくし、かつ、門を閉ざす態度は、
すべての学問領域で見られる現象で、
私にとってはそのすべてが批判対象です。
★
イヤな仕事はすぐやめて、
楽そうな仕事、おもしろそうな仕事に就く。
これは、いまに始まったことではないのです。
捏造民族観に洗脳された方は、
この事実を不愉快に受け取ることでしょう。
しかし、私の提唱する
「人間いいかげん史観」に則(のっと)れば、
当然のこととして理解できるのです。
☆
イヤなことをやめるというのは、人間の本性です。自然な姿です。
そこには自然淘汰の力がはたらいているのです。